広小路 ~八王子で一番古い焼鳥居酒屋~
ある日、酒場放浪記の吉田類がぶらりと突然やってきた
9年前(2007年)に吉田類がぶらっとお客さんとして突然来て、カウンターで飲んでいたそうです。
お店にはテレビが置いてあるのですが、BSが見れなかったため酒場放浪記という番組があることも知らなかったとか。
このときの動画がYouTubeにありましたのでぜひご覧ください。(広小路さんは7分20秒くらいから)
マスターと大ママも今よりちょっぴり若いですね。
お店の人もお客さんも吉田類のことを知らなかったので、みなさん知らん顔していてサインも何ももらわなかったそうです。
吉田類は訪れた酒場に目印を残していくらしく、広小路さんにも想い出の印が飾ってありました。
そして、2013年には「おんな酒場放浪記」でも取材されました。
レポーターの倉本康子さん(雑誌story専属モデル)はとてもサバサバしたカッコいい女性で、良い飲みっぷり食べっぷりで広小路でも倉本さんのファンが増えたそうです。
広小路の歴史
広小路は東京オリンピックの年である1964年(昭和39年)に先代マスター(お兄さん)が開店しました。
開店時からの広小路マッチの絵柄を描いたのも先代だそうです。
2代目の今のマスターは開店から2年遅れの高校卒業の翌日から広小路で働き始めました。
それ以来、もう51年お店の中を行き来されています。
「開店当時はまわりに飲食店も少なく屋台が出ていた。街には銀行が多く、お客さんは銀行員や郵便局員が多かった。」と懐かしそうに話して下さいました。
今はインターネットで広小路のことを事前に調べて、初めて来るお客さんが意外と多いそうです。
マスターはタレ作り担当ですが、タレを作っているときは鍋をかき混ぜながら30秒以上そばから離れられないため、時間がとれる休みの日にしか作れません。
3時間はかかるこのタレ作りを月に何度も行い、新しいタレができたら古い方に継ぎ足して53年間味の歴史を守っているのです。
マスターの信条は常に新鮮な物を売ること。このため「年中仕込みをしなければならず、仕込みに一番苦労している。
焼き鳥の仕込みも黒板メニューの準備も多いので、仕事量の9割が仕込み、1割が営業中の仕事。」と苦労話をして下さいました。
広小路トリビア
30年以上前の箸入れ
お店に置いてある箸入れは30年以上前のもので、昔はこれが普通だったそうです。
先がとがっているものは下にはまってフタが開かなくなるため、割り箸しか入れられないんですって。
広小路という名前の由来
先代マスターが腕時計の精工舎に勤めていて、あちこち出張させられていました。
上野に行けば上野広小路で混んでいる。静岡の三島にも広小路という通りがあって繁華街で混んでいる。
このようなわけで、混んでもらいたい願いを込め、お店をやるときは広小路という名前にしようと決めていたそうです。
この広小路という名前のせいで、昔はお客さんが八王子駅からタクシーを拾って「広小路へ行って下さい」と言うと、運転手さんは上野の広小路へ向かおうとしたとか。今はタクシーの運転手さんも理解しているので大丈夫らしいです。
ホッピーの飲み方
広小路のホッピーはナカ(焼酎)、ソト(ホッピー)、氷の入ったジョッキという構成で出されます。
ところが、ナカ(写真右)を見てわかるように、グラスに焼酎がなみなみと注がれていて、ふつうにジョッキに入れようとすると絶対にこぼれるように仕組まれています。
この焼酎を上手にジョッキに入れられるかどうか、お店の人はニヤニヤしながら見ているそうです。
イジワルですね。。
広小路と同じ日に開店したバー、「フルフル」
近所の古いお店だと、広小路の並びのスナック「フルフル」が4軒長屋で広小路と同年同日に新築で開店したそうです。
昔で言うバーと言うもので、初代の大ママは亡くなりましたが、今は2代目のママが継いでいます。
店内ではなんとauとSoftBankの無線LANが使える
店内にはなんとauとSoftBankの無線LANアクセスポイントが設置してあり、Wi-Fi接続ができます。
また、常連さんの中には店内からスマホを使って、SNS経由で焼き場のなおママに注文を入れることがあるとか。
声に出して注文しないで、あえてSNSで注文する常連さんもすごいですが、これに受けて立つなおママもイカしてますね。
常連さんとなおママのコニュニケーションなんでしょうね。
最後のページはなおママからのおしらせ、関連サイトの紹介などです。
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