既存の老舗にはない「オンリーワンの蕎麦を創る」お店
今回ご紹介するお店は、西八王子駅から徒歩15分程の住宅街にある「手打蕎麦処 蕎酔庵 いっこう」さんです。
ご主人の柴崎一紘(かずひろ)さんはもとは会社員で、退職後に全国の蕎麦屋巡りと独学での蕎麦打ち修行を経た後、13年前にご自宅を改装してお店を開きました。
ご主人の蕎麦打ちは伝統的な「型」だけに囚われないもので、美味しい蕎麦を打つための独自コンセプトを、店内の冊子型メニュー内に読みものとしてまとめられています。
こちらのコンセプトは、蕎麦職人が遠方よりわざわざ見に来るほどのもので、蕎麦職人やマニアには垂涎の「レシピ」ではないでしょうか。
さらに見どころは、店内で使用される器のほとんどを自作したという陶器類。
特に3種盛りで使用される「蕎麦ざら」はNHK美術評論番組「美の壺」で取材を受けるほどの逸品。本稿でもご紹介しますので、ご来店の際はお蕎麦を食べた後にじっくりとご鑑賞下さい。
参照リンク:鑑賞マニュアル「美の壺」 file292 「江戸の蕎麦(そば)」
そして今回のグルメレポーターは「八王子の見廻り番」、鈴木今朝邦さんが担当して下さいました。
今朝邦さんは、いっこうさんのお店から程近い千人町に住んでいるのですが、これまでいっこうさんでお蕎麦を食べたことがなく、「いつも前を通るたびに気になっていた。」とのことで、今回の取材をとても楽しみにしていました。
それでは今朝邦さんのレポートをご覧ください。
「いっこう」さんの取材にお伺いしました
お店外観
「積極的に宣伝は行わない」というコンセプトのもと、狭い道路に面した店の前にひっそりと立てかけられた看板。
お庭に入ると、正面の大きな木に「いっこう」の表札と…
左手には灯籠と祠が。
露地を進んでいくと正面にご主人自作の、本日の蕎麦に使用される蕎麦粉の看板が見えてきます。
本日の蕎麦粉の産地は、10割が鹿児島の「鹿屋在来」、粗挽きが岩手の「レラノカオリ」、せいろが北海道の「キタワセ」です。
入り口の暖簾に書かれたひょうたんの絵もご主人作。何でもできる方なんですね。
お店内観
ご自宅の改装はミシュランをとったこともある都内の有名蕎麦屋をはじめ、100件以上手がけている有名なデザイナーさんに依頼したそうです。
しかしながら、このデザイナーさんは超変わり者ということで、さしものご主人でも要望をほとんど却下されたそうです。相当なツワモノですね。。
あまりにもご主人の言い分が強く、デザイナーさんに改装途中で放棄されそうになったこともあったとか。
このときは奥様がご主人に内緒でデザイナーさんに電話をかけて、仕事を最後まで完遂するようにお願いしたそうです。内助の功というやつですね。
「 いっこう」ご主人 柴崎一紘(かずひろ)さん
ご主人は昭和19年生まれ。一部上場の製造会社で生産技術に長年携わり、様々な海外工場の建設やレイアウト等、立ち上げ業務に従事。
「バブル時代には勤めていた会社がアメリカの企業を買収して、西ドイツにあった工場をシカゴに統合する仕事をやったりしました。
いわゆる生産現場のまとめ役、便利屋です。アメリカには5年間いましたね。
海外から戻ってきたら福島県の会津に転勤になって、7年間いました。蕎麦と陶芸はそのときに覚えたんです。
会津から本社へ戻ってきたら、今度は日本各地にある工場を縮小するため、人員整理をやらされました。
でも、首切りやっているうちに仕事が嫌になってしまったんですね。」
そして58歳のとき、毎朝車で駅まで送迎してくれた奥様に「明日から送迎はいらないから。」と、なんの相談もなく会社を早期退職し、奥様を仰天させました。
「もう少し残っていりゃ優遇措置で退職金いっぱいもらえたんだけどな、馬鹿だね(笑)」と豪快に笑い飛ばしていましたが、奥様とはそのあと喧嘩ばかりしていたそうです。
今となっては笑い話ですね。
「その後2年間は、開店のための陶器作りと全国の蕎麦食べ歩き、蕎麦打ちの訓練や勉強をして、60歳でいっこうを開店しました。」
「お店のコンセプトは居心地の良さ。お店を大きくしようとは思っていません。メニューに関しても、自分一人でいい蕎麦を出そうと思ったらこれ以上増やせません。夜は17時半からですが、4,5名から一組のみの完全予約制です。」
「来店客はどのような方が多いのですか?」
「銀座の有名蕎麦屋や、神田で予約が取れないほど人気のある某蕎麦屋はうちを気にいってくれたみたいで、自分のお客を連れて来たりします。あと、芸者さんや蕎麦のブログを書いている人なんかも来てくれます。」
「都内の有名店が自分のお客さん連れて食べにくるって、普通に考えたら結構すごいことですね。」
「蕎麦職人はメニューの中に書いてある”いっこうのコンテンツ”を見に来るんですよ。」と、メニューの中に書いてあるコンテンツを見せて下さいました。
「お店に来てくれればいくらでも見ていいですよ。」とご主人。ご自身が長年かけて研究したデータを惜しみなく公開するなんて、懐が深いですね。
「最近、何かトピックはありましたか。」
「一昨年、イタリアのミラノで食の万博が開催され、そこの日本館で一週間蕎麦打ちをしてきました。静岡県のプロジェクトチームからお声がかかって参加したのですが、予算オーバーのため私の旅費は出ないということで自費で参加してきましたよ。(笑)」
ひととおり質問したあと「蕎麦打ち場、見てみますか?」と、蕎麦職人の聖域である蕎麦打ち場へ案内して下さいました。
そして蕎麦職人の「聖域」、蕎麦打ち場へ
「蕎麦打ちは朝5時半から9時くらいまでが勝負。毎日3種類の蕎麦を打ちます。以前、蕎麦打ち場にあったエアコンは外してしまいました。気候変動に合わせて蕎麦も変動しているから、天気に合わせてやりたいんですよ。全国の蕎麦屋歩いたけど、そんな馬鹿はいません。蕎麦打ち場にエアコンがあるのを見ると、勝ったと思います。」と嬉しそうにお話されていました。
冬は寒さで手がかじかむため、お湯に手を浸しては蕎麦を打っているそうです。
ご主人が案内してくれた蕎麦打ち場の壁には何種類もの篩いがズラリ。
篩いは200メッシュ、180メッシュ、150メッシュと様々。「個人でこれだけ持っている人はいないでしょう」とご主人。
石臼は3種類。左がオーストリア製の電動石臼、右が手動の石臼(上下2つ)。
手動の石臼(上)はご主人が茨城の石屋で見つけた「小松石」という、富士山の噴火の際に真鶴側に流れ出た「いい粗さ」の花崗岩で、ご主人が自分で図面を書いて作ってもらったそうです。
石臼の話を聞きに、京都から蕎麦職人がわざわざやって来たこともあったとか。
延し棒も桐など色々な種類がありました。
打った蕎麦は一人前ずつ自作の筒に入れ、釜に入れるまで触わらないようにします。
粒度が粗いので手で持つとバラバラになってしまうためだそうです。
冷蔵庫に入っている蕎麦は日によって異なり、夜挽いて冷蔵庫に入れ、朝打つということを毎日やっています。
加水表。湿度と温度によって蕎麦に加える水の量を変えるため、蕎麦の種類ごとに日々数値を記入して管理しています。このあたりの管理手法は、会社員時代の生産技術が生きているのでしょうか。
第二の人生 八ヶ条の原則
蕎麦打ち場の壁には「第二の人生 八ヶ条の原則」という、ご主人の人生訓が飾ってありました。
▽人生訓(抜粋)
- 今までの自分をはっきり見極めること。
- 「何をしたいのか」を考えること。
- 死神、山の神に仁義をきっておくこと。
- 道草、寄り道の旅を心がけること。
- 社会参加することを中心に「働く」こと。
- 社会の現役を実践し、パワーを発揮すること。
- 挑戦を一つ入れること。
- 中期計画、実践の記録を残すこと。
自宅からほど近い住宅地にひっそりと佇むお蕎麦の銘店。
ご主人いっこうさんの話は、これから第二の人生を迎える私にとってもたいへん参考になるお話ばかりでした。
次のページでは、ご主人こだわりのお料理をご紹介します。ぜひご覧ください。
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